連載企画「私の施術家への道」 7

私の通っていた整体の学校では、時々授業とは別にセミナーが催されていました。

このセミナーでは手技業界の世界で著名な外部の先生を講師としてお招きし、その技術を学生に学ばせるという意図から、不定期で行われていました。

しかし、そのセミナー料金が当時の私からすれば高額だったという事と、参加した仲間からあまり良い評判を聞けなかった事から、参加に積極的では無かったのです。

そんなある日、掲示板に次のセミナー日程が張り出されました。
講師の先生は、オリンピック選手の専属トレーナーという肩書きがある、九州で整体院を経営している方でした。

この時は、特別興味が湧くこともなく、いつも通りにセミナーに参加はしませんでした。

セミナーは学校の休日に行われていたのですが、セミナー翌日、学校に行くと、参加した仲間が「凄かった!」と興奮しながら話し始めました。

彼によると、講師のほんの少しの動きで体がやわらかくなったり、痛みが軽減したり、力が強くなったりで、まるで魔法のようだったそうです。

当時、施術方法に迷いがあった私は、参加しなかった事を心から悔やみましたが、後の祭り・・・。

でも、まだ実際に見ていないものの、そんな整体技術がある事は、私に大きな希望をもたせてくれたのです。

このセミナーが、かなり学生間で好評だった事もあり、「応用編」と銘打って2回目のセミナー開催が数ヶ月後に決まりました。

私がすぐに申し込んだのは言うまでもありません。
当日は、学校の許可を得てビデオを持込み、施術法を何度も見られるように全て撮影する段取りを組むほど入れ込んでいました。

参加して、目から鱗が何枚も落ちたような気分が!
当時の私は痛い箇所の筋肉や骨のずれを一生懸命施術していましたが、この先生は、痛い所と関係なさそうな所を触り、痛みを軽減させていくのです!

今の私からすれば、痛い所は結果に過ぎず、原因は他にあるというのは、理解出来ていますが、当時の私や周りの学生たちは経験未熟で理解の範疇を超えていたのです。

この時、整体の学校では知り得ない、色々な整体技術の可能性と共に、人体の不思議に大げさに言えば、感動した事を憶えています!

セミナー終了後、講師の先生と直接お話しする機会が無かったので、後日、手紙で(古いでしょ(笑))この思いをしたためました。

すると、「良ければ九州まで来なさい」という有り難いお返事を頂き、私と思いを共にする仲間と伺う事になりました。

 

お金があまり無かった私からすれば、新幹線で九州まで行くのはかなりの出費ですが、この時はそんな事は全く感じずに、目の前に道が開いた気分で、ウキウキ気分で出発しました!

接骨院の治療が土曜の午前中まであるので、昼一番に上がらせてもらい、その足で新大阪に向かい、九州の整体院に着いたのが、夕方前だったという記憶があります。

緊張しながら整体院を探すと、繁華街の大きなビルにありました!
恐る恐る入っていくと、まず、大きなスペースにある「リング」が目に入ってきました!

先生がボクシングの経験があったので、エクササイズとして取り入れているのを後になってから知りましたが、この時は、「入門試験」として、リング上で戦わされるのではないかと、半ば本気で心配していましたよ(笑)

九州に行く前から、先生より、「誰にでも技術を教えるわけではない」と言われていましたので、つい「入門試験」という発想が出たわけです。(苦笑)

先生は施術中であることを、私からすれば、「先輩」になるかもしれないスタッフから聞き、待たせていただくことに。

しばらくしてから、いよいよ先生が登場!まず挨拶をさせて頂き、熱い思いを私なりに伝えました。

先生はしばらく黙って話しを聞いてから、おもむろに整体院のベッドに横になり、体をほぐすように指示されました。

(これが入門試験か!)と思いながら自分に出来る、精一杯をさせて頂きました。すると、先生から意外な一言が!

今回はここまで!

連載企画「私の施術家への道」 8

「入門試験だ!」と思いながらも、先生への施術を終えました。

緊張しながら「終わりました」とかすれ声で報告すると、先生から意外な一言が!

「寿司を取るから、食べていきなさい」一瞬、どういう意味か分りませんでした。

合格のお祝いなのか、不合格だが、遠くから来た事への労いの気持ちなのか、まだすぐに結果は出ないのか、どれにも取れそうに思われました。

不安な気持ちでしたが、初対面の先生に合否を確認する度胸は、まだ当時の私にありません。

そのうちに、整体院に出前の寿司が届けられました。
それも特上!!

九州で食べる特上寿司は、大阪よりも新鮮でそれこそ、特上の味でしたよ!

不安な気持ちながらも、寿司を戴いていると、今後の指導方法について、先生が説明を始めてくれました。

後で聞いた事なのですが、九州の先生の所に行き、話しをした段階でほぼ合格だったようです。

先生が教えるポイントとして、「熱意」と「人物」を重要視していたそうで、無駄足になるかもしれないのを承知で、遠くまで来る熱意があるのか、話しをして、信頼できる人物なのかを見たかったそうなのです。

という事で、無事入門できた私は、先生の施術技術と患者さんへの思いをたたき込まれるのでした。

九州と大阪ですから、実際にお会いして教えて頂けるのは、月に数回。

私が九州に行ったり、先生が大阪に来た時にお会いしたりの繰り返しでした。

その他の時には、メールを使った質疑応答。
接骨院での毎日の施術内容を、日報のようにして提出し、それに対するコメントを戴いていました。

また、ビデオでの講習会もありました。
お会いできる日は少なくても、課題を沢山戴いていたので、毎日ひどく忙しかったのを憶えています。

この様にして、施術技術も上達しましたが、もっと為になる事も教えて頂けました。

それは、来院してくれる患者さんへの想いです。

その当時、接骨院で施術していましたが、その接骨院の方針で、15~20分でひとりの施術を終わらせなければなりません。

時間に追われる事により、結果、無意識に患者さんへの対応も施術も雑になっていた時期がありました。

それを見透かされた時に、ひどく叱られたのです。

患者さんがどんな思いで接骨院に来ているのかを、思い知らされ、頭を殴られたような気がした事を憶えています。

当時、施術結果も出始めて、接骨院での自分の位置づけも変わってきていたので、少し天狗になっていたのかもしれません。

それからは、少々のことでは、鼻も伸びなくなりました。

伸びそうになった時は、あの時の事を思いだし、反省するのが癖になりましたよ!(笑)

そうこうしている内に、いつの間にか忙しく、1年が経っていました。
整体の学校では、2年間で卒業ですが、最後の半年は学校指定の整体院で実地研修を行う事になっています。

私にも、その研修を行う時期が来たのです!
今まで、接骨院ではある程度の経験を積み、自信も少しですがありました。

ですが、完全に実費で施術を行う場所での経験はありません。
整体院での経験を積む為に、この実習は大事だと思い、ある整体院を実習先に選びました。

そこでの経験は、驚くものばかりでした!

連載企画「私の施術家への道」 9

実地研修で選んだのは、西宮の甲子園口にある整体院でした。

初めて行った日は、私と同じ立場の学生が、既に来ており、人数は私を含めて、男ふたり、女ひとりで計三人になります。

他の二人は同じ学校の学生ですが、夜間部の私と違う時間帯で通っていた為に、私とは初対面の二人でした。

研修先の先生は一見すると、口元にヒゲを伸ばした先生で、チョット恐そうに見えます。

緊張した面持ちで、挨拶をすると、見かけよりも気さくな感じでホッと一安心。(笑)

ここで学ぶ事は、短時間で施術が終了する「接骨院」と違い、長時間施術する事になる「整体院」特有の技術だと当初は感じていましたが、実は、それだけでなく、ある意味もっと重要な事がありました。

それは、患者さんとのコミュニケーションでした。
この研修先の先生は、技術は勿論素晴らしいのですが、患者さんとのコミュニケーションを取る事が抜群に上手く、感心する事ばかりでした。

(こんな風に、患者さんと話が出来る様になるかな?)と不安を感じながら、私の研修は始まったのでした。

ここで、研修システムについて、簡単に説明します。
カイロ学校では1年半、技術や知識を教室で教えて貰えますが、それを応用して使うには、現場に出て実地に憶える必要があるという事で、長時間の研修が義務付けられています。

指定された整体院で研修する時間は学校により定められており、その時間をクリア出来なければ、卒業出来ません。

その時間をクリアする為には、必然的に働いている時間を短くして、その分研修に使うしかありません。

逆算してみると、午後からの時間を研修先で過ごさなければならない事が分りました。

事情を当時の責任者に話すと、快く了承して頂き、研修期間内は午前中で帰る事が出来るようにしてくれました。

私の勝手なお願いを聞いて頂き、本当に有り難かったです。
余談ですが、研修時間が確保出来るようになり、それは良かったのですが、早く帰る分、私の収入は半減する事になり、苦しい家計が更に苦しくなりました。

それを支えてくれた、嫁さんに改めて感謝です!

話しを元に戻しますね。
研修中の私の1日を紹介してみましょう。

午前8時から午後12時まで接骨院で仕事。
午後1時研修先の整体院に到着。

患者さんが居られる時は、雑用をしながら先生の動き、技術、話の内容に集中。

居られない時は、先生の体を使わせて頂いて、技術指導を受ける。
当初はこの繰り返しでした。

今思えば、研修先の先生も、自分の体を使って、学生の技術を確認したかったのでしょうね。

その後、先生が合格点を出した学生から順に研修先の患者さんの身体をほぐす事を許されるようになりました。

私は2番目に合格を戴けたので、ちょうど真ん中と言う事になりますね。

その後、当初は緊張していたものの、何とか研修先の患者さんの身体をほぐす事も出来るようになり、次第に自信もつくようになってきました。

そんなこんなで、アッと言う間に半年の研修期間は終了し、無事カイロ学校を卒業する時期になったのです!

入学したのは、私のクラスは8名でしたが、卒業出来たのは僅か4名でした。

残りの半分は、様々な理由で学校を去っていきました。
寂しいですが、人はそれぞれが自分の人生を歩んでいくのだから仕方ないと、自分に言い聞かせておりました。

カイロ学校を卒業後、これを機会にある事を始める事を色々な人と相談して決断しました!

これが成功すれば、自分の施術家として大きな力になる事ですが、失敗すれば自分の施術家人生がダメになるかもしれません。