連載企画「私の施術家への道」 4
なかなか終わりが見えない、連載企画『私の施術家への道』第4回目です。
前回で、やっとカイロの専門学校に入学。
私が入った学校は、昼と夜間の2部制になつており、私が選んだのは、夜間部。
昼間働いて、家庭に迷惑を掛けないようにして、夜から勉強しようというつもりでした。
入学式で、これから2年間一緒に学ぶ人たちと会いましたが、夜間部ということもあり、平均年齢は高そう・・・。
年齢もバラバラで(果たして上手くやっていけるかな?)と少し不安もありましたが、結構スンナリと溶け込む事が出来ました。
男は私を含めて5人。
女性は、3~4人だったでしょうか?
しかし、最後に卒業できたのは、半数くらいでしたが、これは後のお話ですね。
入学して、夜に勉強するのは良いのですが、昼の仕事を探さな<てはいけません。
学校が経営している整体院があるのですが、定員オーバーの上、給料はメチャクチャ安いので断念。
別の接骨院か、整体院で勉強も兼ねて仕事をする為に探したのですが、不採用続きでした。
雇う方にするなら、年齢は若い方が良いと思うのは当然なので、仕方ないのですが、この時期は結構めげていました。
でもお金は稼がなくてはやっていけないので、取りあえずは、治療と関係の無いアルバイトをする事にしました。
採用されたのは、印刷関係の仕事。
私より若い人だらけの仕事場で、結構孤独を味わいましたが、今となれば、良い経験でした。
ここで午後4時まで働き、6時から学校で勉強すると言う毎日がスタートしたわけです。
この時の1週間は、月~金は朝仕事で夜勉強。
土曜は仕事で日祭日は、図書館で1週間の復習をするというサイクルでした。
遊ぶ時間は全くありませんでした。
お金も無いので、当然ですよね(笑)
この時、愚痴も言わずに、一緒に図書館で過ごしてくれた嫁さんを思うと、冗談抜きでありがたかったですね。
後で知ったのですが、この時期のアルバイト料は、13万位だったので、足りない生活費は嫁の貯金から出してくれていたようです。
今少々、嫁から苛められても耐えられるのは、この時のお陰かもしれませんね。〔笑〕
話がそれてしまいましたね。
そんな毎日を過ごしていたある日の事です。
両親から実家に来いとの呼び出しが!
用件を聞くと、近所の肩こりの人が身体を触らせて<れるとの申し出てした。
それを聞いて、喜び勇んで、実家に向かいました。
この当時、経験を沢山積みたいと思っている学生は、極端な話ですがお金を払っても良いから施術させて欲しいと考えていました。
事実、学校の先輩の中には、携帯ベッドを持って、人通りの多い所で、見知らぬ人に声を掛けて無料で施術した方も居られました。
ここで初めて、お金は貰わないにせよ、学生以外の他人の身体を触ることになりました。
相手は60代の女性でしたが、私は緊張して、身体の中は汗だらけで、心臓はドキドキ!
(決して恋しているわけではありません(笑))
緊張している反面、『凄い上手!』と言わせたいと気負ってもいました。
今のやり方とは全く違いますが、当時の施術法で、丁寧にして満足してもらおうと、じっくりと全身を時間を掛けて行い、気が付けば、2時間も経っていました。
その時は丁寧にお礼を言って<れ、能天気な私は達成感に浸っていました。
しかし、その後何の連絡もありません。
「又いつでもやりますよ!」と声を掛けていたので、もし良かったのなら、連絡して<れる筈です。
後になって聞いたのですが、この2時間も掛けたのが拙かったようでした。
施術後、長時間の刺激で身体がだるくなってしまったとの事です。
と言うわけで、最初の施術は、みごと失敗に終わりました。(この時の女性には本当に申し訳ないことをしました。)
今回はここまで!
次回は、本格的に整体を仕事にするまでの覚悟を書<予定です!
まだまだ道のりは遠いのですが、当時のことを思い出しながら進めて行きますね!
連載企画「私の施術家への道」 5
カイロレター連載企画『私の施術家への道』第5回目です!
飽きてきた方もまだお付き合い頂ける方も、時間があれば、読んでくださいね!
ここまでのあらまし 普通のサラリーマンとして社会人になりながらも、何かモヤモヤと過ごしていた私ですが、家族の不幸や色々なことが切っ掛けになり、「整体」の道に入ることを決意。
カイロの学校に入学し、経験を積み出したのですが・・・。
<本文>
学校に入ってから数ヶ月経ち、色々な勉強や技術を学びました。
が、この当時の正直な感想を言うと、「これで本当に食べていけるようになるの?」でした。
患者さんの体調が改善するイメージが学校の授業ではどうしても出来なかったので、この程度で施術院を経営していけるのかと思ったのです。
一緒に学んでいる同級生もそれは感じているようで、段々学校に来ない人も増えてきました。
私もこの時は悩みました。(やはり確実にお金を稼ぐためにサラリーマンに戻った方がよいのではないか?)(それなら、前と同じになるぞ!)と色んな考えが頭を過ぎりましたが、ある行動を起こすことを決心しました。
それは、お金のために夕方まで働いている、印刷関係の仕事を辞めることでした。 代わりに接骨院の仕事に就くことを決心しました。
前回の連載を読んで頂いている方なら覚えて居られるかもしれませんが、当初も接骨院関係を探していましたが、どこも不採用という結果でした。
しかし、この仕事を生業としていくなら、生半可な覚悟では難しいと悟りました。 絶対に1日中患者さんの身体を触って、沢山の経験を積む必要がありました。
(その為には、何としても接骨院に入らなければ!)と思った私は、退路を断つつもりで印刷の仕事を辞め、必死に面接に当たろうと思ったのです。
ここまで必死になってもダメなら、その時はこの仕事を諦めようと決心しました。 このタイミングでちょうど、スタッフ募集の接骨院の張り紙が学校の掲示板に!
時給は安いものの、勤務時間も相談に乗ってくれそうだし、自宅からも近いところにありました。
なにより、年齢制限がありません。
「よし!ここだ!」と思った私は、学校を通して面接の約束を取り、数日後緊張しながら、この接骨院に向かいました。
この接骨院は系列店を沢山持っており、比較的大規模な所です。
約束の10分ほど前に着くと、私の前に二人の青年が座って待っていました。
二人とも私より若い男性です。
そしてひとりずつ順番に面接が行われました。
自然と面接する声に聞き耳を立てていると、この面接する先生がビシビシ厳しい質問をされます。
志望動機を突っ込んだり、履歴書に書いてある治療と無関係の資格を見て、なぜ資格関係の仕事につかないのか?など本人にとって痛いところをついてくるのです。
この内のひとりの方は、「この仕事をする本物の決心があるとは思えない」という理由で履歴書をその場で突き返されていました。
そして私の番になり、やはり鋭い質問をしてきましたが、この仕事に対する覚悟を自分なりに話し、理解して頂けたようで、履歴書を突き返されることはありませんでした。(ホッと一息)
そして数日後にその接骨院から連絡があり、今度は別の先生と面接することに!
これが最終面接だと思い、緊張して面接に当たったのですが、これは簡単な仕事に対する確認事項程度の内容でした。
「この世界は体育会系だから、年が下でも先輩は絶対だぞ」この言葉が印象に残っています。
でも採用された嬉しさで、この程度のことは全く気にもなりませんでした。
この時の嬉しさは忘れられません!
この治療院には本当にお世話になりました。
今、私がこうしていられるのも、年齢に関係なく採用してくれた先生のお陰です。
ここでは治療以外の掃除や気配りなど、まだまだプロの施術家ではなかった私に色々なことを仕込んでくれました。
接骨院を辞めた今でも、当時の先生たちと、たまに食事に行ったりして交流を続けております。
少し先に行きすぎたので、話を元に戻します。
この治療院での私の仕事は、まず掃除。
施術時間中は先輩の施術を見て学びながら、患者さんに低周波治療器を取り付けたり、受付したり、ベットに誘導したりと多種多様です。
そして時間の合間を見て患者さんの身体をほぐす練習を延々と続けていました。
そして半年後いよいよ施術家としてデビューする日がやってきたのです!
今回はここまで!
次回をお楽しみに!!
読み直すと、ホントに当時の事が思い出されます。
初心を忘れないようにしなくては!
連載企画「私の施術家への道」 6
患者さんを施術するといっても、最初から誰にでも施術するわけではありません。
難しくない症状の方で、治療院のスタッフと仲良くなる程常連の方に、事情(その日が初めての施術という意味)を伝えて、了解頂いた上で施術するのです。
私が初めて施術させて頂いた方は男性で、全身疲労の方でした。
当時は今と全く違うやり方で施術していましたが、かなり緊張しましたね!!
この時が、仕事として人の体に触ったのは初めてでした。
あれ以来、患者さんの数にして、万単位の施術をして来ましたが、あれほど緊張したことはありません。
何をしたのかは覚えていないものの、患者さんの顔だけは今でもハッキリと覚えています。
施術時間にして、30分足らずだと思いますが、終わったあと、疲れて休憩室で休んでいる私に、スタッフのみんなから握手を求められ、プロの施術家として小さいながらも1歩、歩き始めたことを実感しました。
デビュー後、スタッフや患者さんから色々な励ましや注意を受けながら、少しずつ私なりに成長しておりました。
施術で余裕が出てきたら、仲の良い患者さんにカイロ学校の技術を使用して、症状緩和の為、試行錯誤を繰り返してたのが思い出されます。
そんなこんなで、その数ヶ月後には段々私にも指名してくれる患者さんが増え、傍目には順調に進んで見えたと思います。
しかし、この時の私は悩んでいました。
私がもっと若ければ、悩みもせずに現状に満足していたと思いますが、その時の年齢を考えれば、ノンビリしていられなかったのです。
悩みというのは、患者さんの治癒でした。
接骨院で教えて貰った技術やカイロ学校で学んだ技術は、当時の私には最初凄い事のように見え、実際効果もありました。
しかし、その時「楽になった!」と喜んだ患者さんが次の日、又来院してくる事が実に多いのです。
今なら、その理由は分りますが、当時は分らず、自分の技術の未熟さを責めました。
でもよく見ると、先輩や上司が施術した患者さんも当たり前のように次の日に来院してくるのです。
勿論、私の未熟な技術もありますが、それだけではないように、思えてきました。
学校の直営施術院でバイトしている学生にも、整体院での治癒の現状を尋ね廻りましたが、私の求めていた治癒スピードを答えてくれた人はおりませんでした。
「整体の施術はこんなものなのかな?」と思い始めた頃、ある人と出会いました!