連載企画「私の施術家への道」 1

では、第1回プロローグです!

学生時代の私は、平々凡々とした学生でした。

卒業しても特に将来の夢があるわけでもな<、ただ漠然と父の経営しているアパレル関係の会社を継ぐのかなと、人事のように考えておりました。

継ぐとしても最初は色々な社会を見たいと思い、服飾雑貨卸商社や大手情報商社等、数社経験した後に、いよいよ父の会社に入社を致しました。

当初はこんな私でも「この会社を大きくしてやる」等と人並みの希望を持っておりました。

が、仕事をしていてどうもシックリ来ないのです。

最初はただの怠け癖かと感じていたのですが、会社で色々な仕事、それこそ営業、出荷業務、事務、財務など何でもこなしていたのですが、充実感が感じられないのです。

しかし、だからといって社長の息子の自分があっさり、ヤ~メタと退社できるわけでは当然ありません。

悶々とした気持ちながら、『これが自分の人生なんだ』と納得させようとするもう一人の自分がおりました。

今思い返してみれば、このときが一番ストレスが溜っていて、笑顔がなかったように思います。

自然と溜息をついていたのを思い出します。
このときの周りの方たちに不快感を与えていた事を本当に今は申し訳なく思います。

連載企画「私の施術家への道」 2

このペースならいつ終わるんだ?と、心配されている連載企画「私の施術家への道」第2回目です!

大学卒業後社会人になり、各業界で経験積んだ後、親父の会社に入社したというのに、「これで良いのか?」と悶々とした気分でいる所まで、前回は掲載しました。

こんな気分でいながらも、日々の仕事で営業回りの後は、社内の業務、月末近くには月単位での財務状況を把握する為にコンピューターに各データを入力と忙しい毎日を送つていました。

そんなある日のこと、実家の母親から会社に電話がありました。
実家で一緒に暮らしていた姉の様子がおかしいので、父にすぐ帰ってきて欲しいということでした。

その頃私は実家を出て独立しており、実家には両親と姉の3人暮らし。
私は知らなかったのですが、姉はしばらく前から高熱を出しており、寝込んでいたらしいのです。

急いで父は家に向かったのですが、私はそうとは知らず、仕事を続けておりました。
それから数時間後、今度は私に父から電話が!「病院にすぐ来い!危篤や!」

私は訳が分からないまま、急いで病院に向かうと、身体中管だらけにして、意識を失つている姉の姿が・・・。

あの衝撃は忘れられません。
今もキーを叩く指が震えるくらいです。

それから数日間、意識を失いながらも、医師、看護婦さんをはじめとする、色々な皆様のおかけで命を取り留めることは出来ました。

でもその代わり、重い障害を一生抱えることに・・・。
風邪の菌が青髄から脳に入り、広範囲にわたり脳細胞を侵してしまい、身体の運動機能をつかさとる部分がほぼ用を成さない状態に。

つい数日前まで元気に日常を過ごしていたのに、その当たり前の日常を過ごすことはもう、出来な<なってしまいました。

この出来事は、兄弟としてのショックは当然ですが、人生にとっても大きな転機になりました。

明日は普通に来るとは限らないことにようやく、気付いたのです。
それからは、もし急に人生が終わる時に、悔いを残していないかという事を、真剣に逃げずに考えることが出来るようになりました。

あまりにも大きな出来事ですが、今では姉が教えて<れたと思つています。
そのように考えなければ、姉のあの出来事は全く無駄になつてしまいますものね。

この事があってから、自分の気持ちに正直に生きようと思い、会社の社長である父に思っていることを全て話しました。

姉のことで既に気落ちしていた父は、理解を示して<れ、結局会社は廃業することに。
父には申し訳なかったと思いますが、今思えば、やる気の無い私がこのまま続けても、経営がどうなっていたか疑間です。

キズを大き<するよりは、これて良かったのではないでしょうか?(自己弁護です)

今号ではここまで!次号では、整体の業界に入るまでの事です!
会社を辞めた後、収入が無いのに、どのようにして過ごしていたのでしょうか?!

また、既に結婚していた私は、怖い妻にスンナリ賛同してもらえたのでしょうか?!
次号をご期待<ださい!!

連載企画「私の施術家への道」 3

今回は、妻(ジャイアン)へ転職をどのように伝えたか、また、その反応は?(殴られたか?蹴られたか?(笑)も掲載してますので、お楽しみに!

 

一部の患者さんからは 、大好評!今回は第3回目です!
前回は、姉の大病により自分の人生を見つめなした結果、父の会社を去るという結論に達した所まで掲載しました。

会社を辞める、ということは、無職になり、当然無給になる訳です。
この事を妻に相談するときは、結構緊張しました。

事前にどのように言おうかと色々考えたのですが、結局、ここは思っている事を正直に話して理解してもらおうと思い、ドキドキしながら妻に話すと、流石にウチの妻は男らしいです!

婁「いいんとちがう?」(かまわないよ)
私「収入がな<なるよ」

妻「失業保険が出るやろうし、貯金も少しはあるから、しばらくは大丈夫。
それよりも、あんたが何をやりたいのかの方が大事!」

妻に理解を得られながらも、何をやりたいのか、まだはっきりしていない私が、そこにはいました。

自分がしたいこと・・・。
ふとテレビで見たある場面が脳裏に浮かびました。

それは、カリスマ整体師を取材した番組で、その中で整体師は、魔法のように患者さんをドンドン治していくのです。

患者さんの喜ぶ顔と整体師のやりがいに満ちた笑顔が印象的でした。
これを見た時は、「色んな人がいるんだな」と言う程度しか思わなかったのですが、この光景が脳裏に浮かぶと言う事は、今にして思えば、当時から何か潜在的に感じていたのかもしれませんね。

「人に喜んでもらえる」、「技術が身に付けられる」、「姉の役に立てるかもしれない」整体師になれれば、これらの事が仕事をすると同時に可能になる訳です。

「私がやりがいを感じる事が出来る仕事はこれかも?!」とひとりで盛り上がり出しましたが、しかし冷静になると色々な不安と疑間が頭の中で渦巻き出します。

(なるのはいいが、一体どうすれば、整体師になれるの?)
(技術は誰に習うの?どこかの弟子になるの?)
(一人前になるまでの期間は?)
(本当に患者さんがよ<なる技術を身に付けられるの?)
(家族を食わしていくだけの充分な収入が得られるようになるの?)

少し考えるだけでも、いくつも疑間が浮かびます。
これらの事を考えれば、「思いつきでは、やっばり無理かな~ ?」と言うのが当時の正直な思いでした。

でも、思い悩むだけでは先に進まないと思い、取りあえず、色々調べてみることに!
当時はインターネットが今ほど普及していなかった為に、本や雑誌で情報収集。

すると整体の技術や諸々の座学を習得できる専門学校があるということが判明しました。

探してみると、「こんなにあるの?」という位ありました。
自分の人生を掛けるのに相応しい業界かを知る為に、その中のいくつかの学校に見学に行き、担当者に色々質問。

「これなら出来るかも?」甘い考えの私でした。

 

当時の事を思い出すと、妻の度量の広さに改めて驚愕と共に、感謝の気持ちで一杯です!(殴る蹴るもされなかったし・・・。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

第4回目はまた気が向けば、掲載しますね!
お楽しみに!!